2018年04月11日

スクーバダイビング講習(へっぽこ夫編)

先日の私の投稿を読み、今回は夫が自身の体験を書いてくれました。
私とは反対に未知の状況を楽しみ、自分の状態(精神的にも身体的にも)の判断ができる(と本人は思っているハズ)の夫が感じたストレス下での行動と考え方。
皆さんのお役にたてれば幸いです(*^^*)

以下、夫の人編!!

最初にオープンウォータの講習を受けた時はそれなりに不安がありました。
なにせ半世紀近く生きてきて、はじめての経験で、潜水中に何かあれば最も欲する酸素が無い環境、さらに、潜水病等知識では知っていたので、急浮上しても何かしら問題が出るかもと思うと、緊張しないほうがどうかしてます。
しかし、レギュレータを加えて初めて水に顔をつけた時に、あらビックリ、そういった不安が解消され、恐怖心が消えてなくなった(あれ?なんか以前同じような感覚を経験したような・・・)。
レギュレータを加えていて、タンクが十分な限り心配はないだろうという、妙な安心感があり、
それと同時に、レギュレータの技術に驚きました。本当に感嘆しました。特に水中でレギュレータを外し、口を開けてしょっぱい海水を口いっぱいにほうばった後、レギュレータを咥えて息を吐きだすか、パージボタンを押すと魔法のように口の中の水だけが吐き出され、再び空気が吸える事に、スクーバの技術の奥深さの一端を垣間見た気がして、とても興味深々で、どういう構造・技術が使わえているのだろうという方に関心が向きました。この時点でちょっとスクーバを舐めてかかるという悪いクセが・・・
しかしながら、水中に潜るとちょっとしたことで浮き上がったり、沈みすぎたり、身体が回転しかけたりと、身体操作の難しさを感じ、ある程度慣れてくると、自分の息の量が通常よりも多い事を感じるようになりました。

この時、あれ、これも以前似たような経験が・・・あぁ、そうだ、この感覚はラペリングと同じだ、と自分なりに解釈しました。
ラペリングでも初めて15m地点に上がった時は怖さを感じましたが、降下を始めた直後に、ハーネス、エイト環、カラビナ、ロープ、グローブがちゃんとしていて、自分が落ち着いていれば落ちることはないな、と恐怖感が消えたのを覚えています(実は、それも幻想だった事を思い知ります)
色々技術を覚えて、戦闘降下や飛び降りなどを練習して、教官に注意やアドバイスを受けている中で、心で恐怖を感じていないつもりでも、身体が恐怖を感じている事を思い知りました(ほんと自分の事って自分ではわからないものなのですね、恥ずかしいT-T)。ゆっくり降りていて、心では怖くないはずの懸垂降下ですら右手に力が入り、飛び降り降下などでは特に顕著に握っているのです。これは何度も右手は握らないようにしよう、保持するだけにしなければ、と思っていても未だやってしまう悪い癖です。
教官は身体が恐怖に反応する自体は、生物の当たり前の反応で、その反応は健全だが、安全な降下のためには、無意識に不安定なコントロールにならないよう、心で身体を正しく制御出来るように頑張りましょうと言ってくれました。

スクーバで肺活量が増えているのは身体が恐怖を感じていることだと推測しました。スクーバは基本的に急激な動きを避け、ゆったりと安定した動きを最初に求められるので、通常の呼吸量で十分なはずなのです。しかし実際には自分の呼吸のリズムや量が極端すぎ、身体の浮き沈みが激しく、それを身体や手足でカバーしようとすると更に肺活量が増える悪循環になっていました。タンクの残量チェックの際に、他の参加者よりも自分のタンク残量は顕著に少ないようだ、と気付いた時に、自分の呼吸量が多すぎる、または早すぎるのだろと気づきました(これもいつもの訓練で、全てを数値化して客観的に把握するように、という教官や先輩方の教えのおかげです)。この時、自分の心では気付いていないが、身体は恐怖を感じて反応しているのだろうと気づき、環境は違えど、リスクが有る環境下で自身の安全をコントロールする注意点は同じなのだな、と思った時に、またもやさらなる好奇心が芽生えて、オープンウォータの次のレベルも目指したいと思いました。

そしてアドバンスの講習の時に、妻もオープンウォータの講習受けることになった時に、妻はもしかしたらギブアップするかもという予感が有りました。それは最初のラペリングの時の状況を思い出したからです。それ以前にも滝登りした時、登れる、大丈夫と言ってサクサク上がった後、一人で降りれず泣き言を言って、帰途につく人達の大渋滞の頭を張ったこともありました。
しかし、その場合でも致命的な事故は起きないだろうと考えていました。何かあっても運命と受け止めるしかありません。なんてシビアなことを書いてますが、実際にはトレーナーさん以外に複数のスタッフが受講生を見守っていてくれているのは知っていましたし、泣き言言うのは早い方なので、心配はしていませんでした。ただ、予想はあたってギブアップしたと聞きました。特に助言出来ることもなく、ラペリングと同じと伝えるしかありません。恐怖は他の人が何を言っても消えるものではなく、自分でしかコントロール出来ないと思っていましたし、ラペリングを経験しているのだから、それを思い出せれば克服できるのではと思っていました(というより、棺掛け方は同じで、ラペもRBTもやってるのだから、いい加減合理的行動出来るよね!?という思いが強い)。結果として妻は自分で情報を集め、自分で納得し、初日の気持ちを自分で切り替えて自身を制御することが出来たようです。

そして、自分のアドバンスの講習も無事終了はしましたが、実際には自分の状態を気にかけていないと、ついつい余計な動きをしていたりして、まだまだ未熟なのを痛感しました。水中では浮力が得られる状態になっても、実際に身体が浮き始めるのが数秒かかったりするので、自分の呼吸のコントロールと、実際の数秒後の動きを一致させるのが難しく、その難しさをコントロールする楽しみは、まさにラベリングと同じものを感じています。またその夜はややふわふわする感じがして、これが窒素酔いかな?と思いましたが、現象が出るまで自覚症状がないので、より一層気をつけなければと改めて思いました。

今の私は、ラペリングでもスクーバでも、自分では怖いと思っていないのに、身体は恐怖を感じて反応している事が多々あります。自分の心では大丈夫と思っているが故に、気をつけていないと身体が恐怖に反応していることすら気づかない場合があります。自分は大丈夫、問題ないと思いたがる正常性バイアスがついつい働いてしまいます(目下、これが一番の強敵)。これは怖い状況なのに自分が気づいていないという、最も怖い状況だと思います。そういう意味では妻の反応は過敏ではなく(時々Loudlyだけど・・・)、順当に手順を踏んでいるのかなと思います(ここで持ち上げておかないと後が怖い・・・お!?正しく夫婦関係のリスクを認識できている)。自分が怖いと思っている事を認めるのは、自分が弱い、情けないと認める事のように思えて、ついつい否定したくなります。でも、最近は怖い状況を正しく認識し受け止められること、そして恐怖に圧倒されずに制御出来ることが重用なんだと考えるようになりました。某デューク東郷氏も自分は臆病だから生き延びてこれた」とおっしゃっていることですし、もっと臆病にならねばと思う次第です。

新しい経験や技術を学ぶこと、また、その技術を深めることはより安全に楽しい経験を増やし、他の技術にも良い影響を与えてくれると改めて思います。
という訳で、休日は充実した内容だったので、そろそろ気持ちを戻して、今回のセブ滞在の眼目である English Skill を磨かねば・・・^^;





Posted by 咲良レイ  at 09:30 │Comments(0)

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