2016年04月12日
田村装備開発(株)様での訓練で感じたこと
今日は珍しく夫の人のブログです。
とはいえ、これを書いているのはへっぽこ妻です。
夫の人が「ブログにこれを掲載してほしい」と言って書いてくれたテキストをペタリしますね。
へっぽこ妻の想定訓練日記は予定を変更して2日後掲載とします。
ご了承くださいませ。
では夫の人のコメント。
現在、夫婦で色々な訓練に通っていますが、実際には今訓練している技術をそのまま使う必要がある場面は、おそらく一生ない事でしょう。
そして、サバイバルゲームの為に習うには、過大な訓練だと思います。
そうすると、興味が無い人から見たら、なぜこの時代、この日本でそんな事を学ぶのか?と訝しまれると思います。
田村装備開発(株)様で教えを受けた時、中国拳法を描いた漫画を想起しました。
そこでは、以下の様な会話があります。
小学館 少年サンデーコミックス「拳児」第9巻第7話より引用
ISBN 4-09-122119-X
-----
「中国武術の中には、殺人芸術とまで言える技もある。武徳のない者に伝えたら、それは単なる凶器になってしまう」
「じゃあ、あなたはこの時代になぜわざわざ殺人芸術を学ぶのかね?」
「人間性を高めて宇宙と一体になるためだ。最高の拳法はその動作の中に宇宙の法則を現している。
つまり正しく体得することは、宇宙と一体になることだ。
しかし、そのためには、まず精神を宇宙に向けて始めなければならない。
心を純真にしてこそ、宇宙は味方になってくれる」
-----

(※へっぽこ妻注:「拳児」は、小学生男子がおじいちゃんの教えてくれた中国拳法を学びながら、そのルーツをたどり成長していく物語です。
拳法に興味がない方も、少年の冒険や成長の物語として読んでも楽しめると思います^^)
上記の会話と同じようなことを感じました。
個人的には半世紀近く生きてきて、今更タクティカルな技術を磨いても、若い方や日々訓練している方には到底敵うことはないと思います。
ですが、人間性を高めて、周りの環境と一体化しながらも個を確立する手段として、今からでも学ぶことは非常に有意義だと感じています。
何のことだかわからないですよね(笑)
例えば、RBTにおける立てこもり、潜入・クリアリングでは、もちろん技術も必要になるのですが、当然一人では高い確率で無理ですし、単に人数だけいても無理です。
自ずとチームとして周りの状況、人の動き、考え方、特性、性格、技術レベル、心理状態、所有している武器の数と種類、向き不向き、身体的な長所、短所、タイミング、風の向き、強さ、臭い、音、光と影、建物の材質、配置、角度、次の展開の予想、などありとあらゆる情報を先入観なく受け取り、その時の自分の心理状態、体勢、所有武器、自分の行動によるチームへの影響等を考慮した、最善の一手を瞬時に判断し、その通りに自分の体を自然に操作し、チームが1個の生き物かのように、それらをよどみなく連続して行動する必要があります。
つまり、RBTでは、自分の周りの環境をあるがままに受け入れながら、その中で最善の自分の行動を決める訓練を受けている、と思って受けています。
もし、訓練で撃たれた時は、どれかを把握しきれていないか、自分の体の制御が自然でないことになります。
CQCの訓練も同じことが言えると思います。
また、ラペリングでは特に自分の心の制御を訓練しているように感じます。
高所でロープ一本で様々な降下をする時には、恐怖心の克服と、いついかなる時、いかなる体勢であっても、自然に自分の体を思うとおりに制御できる必要があります。
また、降下後であっても気をつけるべき事がありますが、これは将来のリスクの顕在化の抑制と、万一リスクが顕在化した時であっても、もっとも合理的な行動が取れるようにするためです。
これが役立つのは、ラベリングだけにとどまりません。
仕事でミスした時、車の運転などでひやっとした時など、普通の社会生活においても平静心を失いそうになる場面は多々有りますが、自分の心と体のコントロールが完全にできていれば、きっと最善の行動が取れるはずです。
そして、重要なのはそれでも失敗はあること、その失敗から学ぶことだと思います。
言葉ではなかなか伝わらないと思いますし、実際に訓練を受けた人それぞれに、違う受け止め方があってしかるべきだと思います。
その中で、私は自分の心と体をコントロールする訓練として受けていると思っており、技術を磨くのはコントロールできているかの指標でしかない様に思います。
ある意味、私の中では武道の一つとして捉えているのだと思います。
更に、特筆したいのは教官の教え方です。
最初の受講では田村社長、長田教官に指導頂いたのですが、目的と状況により複数の判断、戦術を示してくれて、その理由も必ず教えてくれます。
答えは一つとは限りません。
新たな考えについて聞いた場合でも、それもあり、とか、それはこういう理由で不利かもしれない、などと一緒に考えてくれます。
こういった訓練では、一定の技術・理論をを疑問なく身に付ける教え方なのかな?と勝手に想像していたので、この指導方法はかなり驚き、かつ、人を納得させる教え方、人を成長させる教え方とはどういうものか、という見本を見せていただいているように感じています。一つの答えそのものを教えるのではなく、合理的な答えに行き着く発想、考え方、理論を教えた上で、自分なりの答えを考える手助けになる教え方は、本当に感動しました。
以上、夫の人のブログでした。
たまに登場してくれると場が引き締まって良いなぁ…。
とはいえ、これを書いているのはへっぽこ妻です。
夫の人が「ブログにこれを掲載してほしい」と言って書いてくれたテキストをペタリしますね。
へっぽこ妻の想定訓練日記は予定を変更して2日後掲載とします。
ご了承くださいませ。
では夫の人のコメント。
現在、夫婦で色々な訓練に通っていますが、実際には今訓練している技術をそのまま使う必要がある場面は、おそらく一生ない事でしょう。
そして、サバイバルゲームの為に習うには、過大な訓練だと思います。
そうすると、興味が無い人から見たら、なぜこの時代、この日本でそんな事を学ぶのか?と訝しまれると思います。
田村装備開発(株)様で教えを受けた時、中国拳法を描いた漫画を想起しました。
そこでは、以下の様な会話があります。
小学館 少年サンデーコミックス「拳児」第9巻第7話より引用
ISBN 4-09-122119-X
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「中国武術の中には、殺人芸術とまで言える技もある。武徳のない者に伝えたら、それは単なる凶器になってしまう」
「じゃあ、あなたはこの時代になぜわざわざ殺人芸術を学ぶのかね?」
「人間性を高めて宇宙と一体になるためだ。最高の拳法はその動作の中に宇宙の法則を現している。
つまり正しく体得することは、宇宙と一体になることだ。
しかし、そのためには、まず精神を宇宙に向けて始めなければならない。
心を純真にしてこそ、宇宙は味方になってくれる」
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(※へっぽこ妻注:「拳児」は、小学生男子がおじいちゃんの教えてくれた中国拳法を学びながら、そのルーツをたどり成長していく物語です。
拳法に興味がない方も、少年の冒険や成長の物語として読んでも楽しめると思います^^)
上記の会話と同じようなことを感じました。
個人的には半世紀近く生きてきて、今更タクティカルな技術を磨いても、若い方や日々訓練している方には到底敵うことはないと思います。
ですが、人間性を高めて、周りの環境と一体化しながらも個を確立する手段として、今からでも学ぶことは非常に有意義だと感じています。
何のことだかわからないですよね(笑)
例えば、RBTにおける立てこもり、潜入・クリアリングでは、もちろん技術も必要になるのですが、当然一人では高い確率で無理ですし、単に人数だけいても無理です。
自ずとチームとして周りの状況、人の動き、考え方、特性、性格、技術レベル、心理状態、所有している武器の数と種類、向き不向き、身体的な長所、短所、タイミング、風の向き、強さ、臭い、音、光と影、建物の材質、配置、角度、次の展開の予想、などありとあらゆる情報を先入観なく受け取り、その時の自分の心理状態、体勢、所有武器、自分の行動によるチームへの影響等を考慮した、最善の一手を瞬時に判断し、その通りに自分の体を自然に操作し、チームが1個の生き物かのように、それらをよどみなく連続して行動する必要があります。
つまり、RBTでは、自分の周りの環境をあるがままに受け入れながら、その中で最善の自分の行動を決める訓練を受けている、と思って受けています。
もし、訓練で撃たれた時は、どれかを把握しきれていないか、自分の体の制御が自然でないことになります。
CQCの訓練も同じことが言えると思います。
また、ラペリングでは特に自分の心の制御を訓練しているように感じます。
高所でロープ一本で様々な降下をする時には、恐怖心の克服と、いついかなる時、いかなる体勢であっても、自然に自分の体を思うとおりに制御できる必要があります。
また、降下後であっても気をつけるべき事がありますが、これは将来のリスクの顕在化の抑制と、万一リスクが顕在化した時であっても、もっとも合理的な行動が取れるようにするためです。
これが役立つのは、ラベリングだけにとどまりません。
仕事でミスした時、車の運転などでひやっとした時など、普通の社会生活においても平静心を失いそうになる場面は多々有りますが、自分の心と体のコントロールが完全にできていれば、きっと最善の行動が取れるはずです。
そして、重要なのはそれでも失敗はあること、その失敗から学ぶことだと思います。
言葉ではなかなか伝わらないと思いますし、実際に訓練を受けた人それぞれに、違う受け止め方があってしかるべきだと思います。
その中で、私は自分の心と体をコントロールする訓練として受けていると思っており、技術を磨くのはコントロールできているかの指標でしかない様に思います。
ある意味、私の中では武道の一つとして捉えているのだと思います。
更に、特筆したいのは教官の教え方です。
最初の受講では田村社長、長田教官に指導頂いたのですが、目的と状況により複数の判断、戦術を示してくれて、その理由も必ず教えてくれます。
答えは一つとは限りません。
新たな考えについて聞いた場合でも、それもあり、とか、それはこういう理由で不利かもしれない、などと一緒に考えてくれます。
こういった訓練では、一定の技術・理論をを疑問なく身に付ける教え方なのかな?と勝手に想像していたので、この指導方法はかなり驚き、かつ、人を納得させる教え方、人を成長させる教え方とはどういうものか、という見本を見せていただいているように感じています。一つの答えそのものを教えるのではなく、合理的な答えに行き着く発想、考え方、理論を教えた上で、自分なりの答えを考える手助けになる教え方は、本当に感動しました。
以上、夫の人のブログでした。
たまに登場してくれると場が引き締まって良いなぁ…。
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